2005年04月20日

『日本の力』(石原慎太郎さん/田原総一朗さん 文藝春秋)


先日、普通読みで『日本の力』(石原慎太郎さん/田原総一朗さん 文藝春秋)を読みました。

日本の力
石原慎太郎 田原 総一朗

文藝春秋 2005-03-30
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若者に対しての見方が印象に残りました。
特に目に付いた部分を引用させていただきます。

 とにかくあのころ私たちの世代は、誰もみんな、それぞれの分野で意欲的でがむしゃらに仕事していましたね。また、社会もそれを許容する若々しさをもっていた。つまりあの頃のほうが、日本の社会は夢があり、ダイナミズムがあった。
 それに比べて今の若者はおずおずとしか話さない。言うこともみんな同じ、画一的でちっとも面白くない。それは、つまらないというより、社会にとって恐ろしいことです。
(115−116p/石原さん)

 私たちのポジションはもうとっくに脅やかされていいわけですが、追っかけてくるのがいない。脅かしてくれない。
 今の若者たちのいちばんの問題は、分別がありすぎることだと想う。分別がある人間を嫌だという人間は、不登校とか、ひきこもりとか、そうなるしか逃げ場がない。
(282p/田原さん)

 私は芥川賞の選考委員をやっていますが、いつもどの作品にも、あまり刺激を受けませんな。だから読むたびに、まだこんな程度か、と安心している。こいつ、なかなかできそうだなという、剣客修行中の道場破りみたいなものが出てこない。こちらの自惚れもあるかもしれないけどね。
 あなたが青春を語るときにメジャー・スティック(判定基準)に全共闘を据えるのは、とってもおもしろい。それにくらべて、現代の若者のフェティシズムというのは、なぜこんなに強くなったのだろうと思う。モノに対する愛着っていうのは実は安易で、それ以外に頼れる価値みたいなものはないのかね。
(284p/石原さん)


現代の若者たち!
もっとガツンと来いよ、物足りないぞ!というメッセージではないでしょうか。

知性・感性、行動力、モチベーション、そういったエネルギーが伝わってこないということだと思います。

ある種の狂気を発散させるような鋭さ、押しの強さ、我儘さ。
それらが目立ったかたちで響いてこないということでしょう。

石原慎太郎さんの「言うこともみんな同じ、画一的でちっとも面白くない」という言明にはハッとさせられます。
個性とかオンリーワンとかいいながら、結局大差のない同じような人間ばかりじゃないか、と言われているように感じました。


それはどうしてなのでしょうか。
なぜ、若者の口からエキサイティングなおもしろい話が出てこないのでしょうか。


その原因としてひとつ思ったのは、冒険をしていないから、ということです。

人生を賭けて
何かをやっている人、チャレンジしている人、失敗/成功している人
は話がおもしろいです。

話術のテクニックとか、知識があるかどうかではなく、
自分の体や精神力や頭脳を振り絞って前に進んでいこうとする行動力の有無です。

つまり、現実に何を体験しているか、ということです。


冒険心があっても、それをバーチャルなかたちで消費してしまってはいけません。
自分の思うやりかたで、自分の能力を使ってやってみて、その結果を自分でしっかりと受け留めます。
自分で考え、自分でやって、傷つきながら何かを得ていくことです。
人の冒険を見聞きして感動をおぼえたり、逆に批判してみたりするところで止まってはいけない。
もしくは、こういうふうに書いてあったからこういうふうに聞いたからこのやり方は駄目なんだ、と単純に結論を出すのも勿体ないことがあります。


冒険をしているつもりで、見る人が見たら「その程度の冒険か」と思われることしかやっていないということもあるでしょう。
外面上の威勢のよさ、無謀さではなく、その内面で何が行なわれているか、何を得ているかが大切です。

誰かの後ろについていこうとするのではなく、フロントライン(最前線)に立っていくことです。
教えを受けたり、人のやり方や成功例を参考にするのは大切ですが、その場合も
そこにひとひねり、ふたひねり、自分なりのものを加えて次の手を自ら作り出してはじめて本当の成果が生まれます。

自分を飛躍させていくキッカケ、個性を磨くチャンスは
ちょっと前に出てみる勇気と冒険の内に潜んでいるのです。

unojin at 02:17コメント(0)トラックバック(0)読書雑感  

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